第36回ふれあいトークサロン『古事記のお話いいとこどり』

2019年1月30日

国史研究家 小名木善行

講師 小名木善行氏

講師 小名木善行氏



一、 復奏

 復奏は古事記に出てくる言葉で、「かへりごと」と読みます。現代の言葉で表すと「報告」の意味に近いですが、もうすこし深い意味があります。皆さんが現役だったころ、勤務態度も良く業績の貢献度も凄く高い営業部長が何故か中々出世しないということはなかったでしょうか?結構有りがちな話ですが、実は古事記には、そんな風にならないようにするための教訓が書かれています。それが「復奏」のお話です。

 その昔、大国主神(おほくにぬしのかみ)は、苦労してやっと大いなる国(中つ国)の主(ぬし)となりましたが、高天原(タカマガハラ)の天照大御神(あまてらすおほみかみ)が、「その国は我が御子(みこ)の知らす国ぞ」とお示しをなされ、八百万(やほよろず)の神々が協議をして天菩比神(あめのほひのかみ)が中つ国に遣わされました。ところが古事記は「天菩比神は大国主御神に媚びて三年経(た)っても復奏(かへりごと)が無かった」と書いています。
 次に天若日子(あめのわかひこ)が派遣されます。天若日子は今でいうイケメンだったようです。大国主神にもたいへんに気に入られ、大国主神の娘の下照比売(したてるひめ)と結婚しています。高天原と中つ国を血縁関係にしようと思われてのことであったのかもしれません。ところがこの天若日子も、高天原から疑われたのみならず、弓で射られて死んでしまうのです。
 古事記の別の箇所には、当時高天原と中つ国が相互に使者が行き来して交流があったことが書かれています。ということは、天菩日神にしても、天若日子にしても、高天原の神々への報告はしていたことでしょう。天若日子に至っては結婚までしているわけですから、そのときには高天原からも祝の使者がやってきたに違いありません。いまで言ったら、メールや電話で報告はしていたわけです。ところが疑われてしまうのです。
 ちゃんと状況報告をしているのに疑われてしまう。それは何故でしょうか。古事記はそのことについて、後世の人たちにもわかるように、ちゃんと説明をしています。まずはじめに戻って読み返してみると、八百万の神々が集まって「中つ国にどの神を遣わすか」と会議をしています。会議に参加し、その意思決定に参加したということは、そのとき参加した全員が、その結果について応分の責任を負担していることになります。ところが報告というのは、通常、直属の上司にのみ行われます。では、自分を選任してくれた他の神々への報告はどうなっていたのでしょうか。
「あいつは、ちゃんとやっているのだろうか。」
「どうなんでしょうね。何の連絡もありませんね。直属の上司には報告しているのかもしれませんが・・」
仕事というのは、すればするほど必ず問題が発生するものです。問題が起きないということは何もしていないということです。問題は必ず起きるのです。そのとき、状況を聴いていなかったけれど責任だけ負っている他の神々はどのように思うでしょうか。
「何だ、アイツ。何も言ってこないのみならず、我々が選任してやったのにそんなことになっているのか!まったく困ったものだ・・」
 そこで古事記は、最低でも月に一度は直属の上司だけでなく、自分を選任してくれた他の上司たちもちゃんと集まっていただいて、顔を合わせて定期の報告をしなさいと教えているのです。これが「復奏(かへりごと)」です。報告と復奏の違いは、報告が直属上司に対してのみ行われるのに対し、復奏は関係者全員が集まった席で、オフィシャルな定期報告会を行うことを意味するという違いがあります。なんと意外なことに、古事記は現代の社会人の教訓にもなるような話が物語として書かれています。

ニ、古事記が書かれた時代

 古事記は一般に「古代の神々(天皇)のことを書いた歴史書」と言われていますが、ほんとうにそうでしょうか。実は古事記には「序文」があり、そこに古事記が書かれた目的が明確に記されています。それは「我が国を立て直すために、我が国のお国柄を明確にするためにこの書の編纂が天武天皇によって命じられた」というものです。
 ひとくちに神話といいますが、日本はご存じの通り、とても古い国です。旧石器時代(自然石をそのまま使っていた時代)の遺跡もありますし、新石器時代(石を砕いたり磨いたりして道具として使った時代)もあります。とりわけ磨製石器の時代は、世界で最も古くて、最初に発見されたのが昭和二十二年の群馬県赤城山麓の3万年前の磨製石器、その後全国百三十二箇所から四百点あまりの磨製石器が発見されています。いずれも世界最古のものです。なぜここで磨製石器のことを持ち出したかと言うと、欧米の学者の間では、磨製石器と神話が生まれた時代は丁度重なるとされているからです。なぜかというと磨製石器は、ある程度の人数が集まった集団の中で作られたと考えられるからです。一定以上の集団になると獲物を捕る人、それを捌く人、道具を作る人など分業制が進みます。すると互いの意思伝達するために言葉も発達します。更に集団が大きくなると、その集団は、なぜ自分たちが一緒に生活し助け合っているのかという、共同体の持つ意味を、神話という形で遺そうとするからなのだそうです。それが西洋ではおよそ八千年前、日本では三万年前だというわけです。
 日本は歴史があまりにも古いことから、時代が進むにつれて全国に豪族が誕生しました。おそらくもともとは全員が親族であったのだろうと言われていますが、長い間、自分たちだけのコミュニティを続けていると、もともとは同じ神話を共有していたものが、長い歳月の間に共同体ごとに・・・つまり豪族ごとに神話の内容が変化します。要するにそれぞれの豪族たちが、それぞれに自分たちに都合の良いように、神話が改変されていくわけです。このことを古事記序文は、「既違正実、多加虚偽(すでにまことにたがいては、おほくいつはりくわへたり)」と書いています。
 更に時を経て天智天皇の時代、西暦663年に朝鮮半島で新羅(シラギ)が百済(クダラ)を滅ぼしました。日本は百済を助けるために大軍を率いて半島に渡るのですが(白村江の戦い)、三年半経ったとき、唐と新羅の連合軍に大敗して、半島の権益をすべて放棄しました。当時の日本は、各地域の豪族ごとに言葉は方言が異なるし、使う文字もバラバラです。しかも唐と新羅は、海を渡って日本に攻め込んでくる予定であるという知らせが日本に舞い込みます。これに立ち向かうには、我が国を豪族たちのゆるやかな集合体という形から、中央集権型の統一国家にしていく他はない。これが古事記の序文にある「「当今之時不改其失 未経幾年其旨欲滅(いまのとき そのあやまりを あらためずなば いくとせも へずにそのむね ほろびなむ)」です。
 こうして古事記の編纂が始まりました。

三、 神話と神語

ここまでの話の中でずっと神話という表現を使ってきましたが、実は神話という言葉は幕末に翻訳語として生まれた言葉です。それまでの日本では「神語(かむかたり)」と呼んでいました。どうして幕末の翻訳家たちが従来からある「神語」という語を使わずに、新たに「神話」という語を造語したのかというと、そこには明確な理由があります。実は神話という用語は、英語の「Myth(Mythologyの略)」の訳語なのですが、この「Myth」には「根拠のない作り話」という語彙(ごい)があるのです。
 どういうことかというと、英語は元々イギリスの言葉です。イギリスはもともとはケルト民族の土地です。そのケルト民は多神教で、妖精を信仰します。花の妖精、木の妖精といった具合です。そこに一神教の王が侵略してきてできたのが英国で、先住民の信仰は否定され、根拠のない作り話の「Myth」とされたのです。そうそう、一例を示しますとケルトのお医者さんは女性で黒い服を着てトンガリ帽を被(かぶ)っていました。そして家の中で薬を処方するために大鍋でなにやら植物をぐつぐつと煮ていました。何か思い出しませんか?そう典型的な「魔女」の姿です。あれは本来ケルトのお医者さんの姿なのです。それがいかがわしくて恐ろしい魔法使いのおばあさんにされてしまいました。そして数々の妖精物語も、すべて根拠のないつくり話、「ミス」とされたわけです。
 ところが幕末ころの日本人にとって、我が国の神話は、我が国のご先祖のたいせつな物語です。それを根拠のないつくり話と一緒にされたら困る、というわけで、生まれた造語が「神話」だったわけです。もっと言いますと、一神教の神様は、天上界の存在です。しかし我が国の神様は、ご先祖をずっとかみの方にさかのぼっていった先の共通のご先祖の物語と理解されてきました。だいたいどの家も家系をさかのぼれば戦国時代くらいまではさかのぼることができます。そこまでが四〇〇年、十六代です。二十七代さかのぼると七百年前に至りますが、二の二十七乗で計算いただくとわかりますが、今を生きるひとりの人が生まれるために、七百年前に一億三千万人の祖先が必要になります。実際には七〇〇年前の鎌倉時代の日本の人口は七百万人です。これが何を意味しているかと言うと、すべての日本人が、何度もご祖先がかぶっている(共通している)ということです。そんな歴史を、我が国は万年の単位で過ごしてきています。つまりご先祖をずっとかみの方にさかのぼっていった先におわす、すべての日本人の共通のご祖先の物語だから、神語(かむかた)りなのです。
 現代日本では、そうしたことが忘れられ、むしろ「神語」が死語になり、「神話」という言葉だけしか残っていない。これはとても残念なことです。

四、 古事記と日本書紀

 古事記と日本書紀の違いをここに比較してあることは物理的な違いに過ぎません。大事なことは、そもそも古事記と日本書紀は、ほぼ同時期に同じ天皇によって編纂を命じられたのに、何故二つあるのかという素朴な疑問です。これに関しては色々なところで書かれていますが、よくあるのは、
・古事記は国内向けに天皇の正統性をアピールするための歴史書
・日本書紀は国外に向けて日本をアピールするための史書
というものです。しかし「天皇の正統性をアピール」といいますが、そもそも我が国の天皇は万世一系です。お隣りの中国のように王朝がその時代ごとによって変わる国であれば、当代の王朝が自分達の正統性を証明するための史書が必要ですが、我が国にはその必要がありません。
 日本書紀はすべて漢文で書かれているから、国外に日本の歴史をアピールするために書かれた書だというのですが、たとえば古事記に有名な「以和為貴(和を以て貴しとなす)」という言葉があります。日本書紀に書かれた聖徳太子の十七条憲法の第一条の言葉です。けれどもこれは中国人に見せても読めません。なぜなら「和」という漢字は、中国語では「AとB」というときの「と」、つまり接続詞だからです。英語なら「and」、算術記号なら「+」です。「+」や「and」を以て貴しとなすと言ったところで、意味がわかるはずもありません。要するに日本書紀は、漢字で書いてあっても、中国語で書かれたわけではない。つまり日本語を漢字で書き表したものだということです。外国人が読めないようなものは、外国向けに書かれたとはいえません。ローマ字で書いた文を米国人に見せて「読めるでしょ?」と言っているようなものです。
 では、古事記、日本書紀が書かれた目的は何か。答えはそれぞれの書の冒頭に明快に述べられています。古事記は「諸命以(もろもろのみことをもちて)」です。意味は「何事も神々の御心の命ずるままに」というものです。「神々の御心の命ずるままに」を漢字で書くと「随神」となります。この字には別な読み方があります。それが「かんながら」です。「かんながらの道」それが古事記を通底するテーマです。
 日本書紀は「豈無國歟(あにくになけむや)」とあります。「あに〜や」は、一般にただの反語的表現と言われますが、ここで使われている「豈(あに)」という漢字には意味があります。この字は神社において、婚礼の儀などのよろこびのときにだけ打ち鳴らす「楽太鼓(がくたいこ)」の象形文字なのです(図4)。つまり「豈無國歟」は、「よろこびあふれる楽しい国はないだろうか、ないよね。じゃあ、自分たちで作ろうよ」と、こうしてできたのが我々が住む世界なのだと日本書紀は書いています。そしてその「よろこびあふれる楽しい国」が、日本書紀を通底するテーマとなっています。

五、シラスとウシハク

 古事記では、伊耶那岐命(いさなきのみこと)と伊耶那美命(いさなみのみこと)が神々の命(みこと)に基づいて日本列島を生み、そのあとに天照大御神、月読命(つくよみのみこと)、須佐之男命(すさのをのみこと)がお生まれになります。その須佐之男命の末裔から、大国主が誕生します。
 大国主神は、若いころから本当に苦労を重ねておおいなる国を築きました。これは現代でいえば、一代で身を起こして世界的規模の一部上場企業に育てあげたようなものです。ところが天照大御神は、その国をよこせとおっしゃる。   建御雷神(たけみかづちのかみ)が出雲の国に降り立たれて、十掬剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに立てて、その上に大あぐらを組んで、大国主神に向って次のように言うのです。
「汝の宇志波祁流(うしはける)のこの葦原の中つ国は、我が御子の知国(シラス)の国ぞと天照大御神がおおせである。汝の心やいかに?」ここに出てくる「ウシハク」と「シラス」という言葉は、我が国の根幹をなすたいへん重要なキーワードです。そこで大国主神話をすこし振り返ってみます。
 大国主神話は「因幡素兎(いなばのしろうさぎ)」の物語から始まります。このお話は一般に、サメを騙したウサギがワニの報復に会い皮を剥がされてしまい、それを若かりし頃の大国主神が助けてあげるという話として知られていますが、古事記はそのウサギを「菟」と書いています。御覧頂いてわかりますように「菟」はくさかんむりです。つまり植物のことです。どのような植物かというとネナシカズラと言いまして、いわゆる寄生木のことです。けれど読みは「ウサギ」です。どういうことかといいますと、昔は行商人さんのことを雀(すずめ)といい、問屋街のことを雀が連なる町ということで連雀町(れんじゃくちょう)などと呼んだものですが、要するに背中に荷物を背負った行商人さんたちが、まるでウサギやスズメがぴょんぴょんと飛び跳ねるような歩き方をしたことから、そのような名前が付いたわけです。つまり「菟」とは行商人を指す漢字でもあるわけです。
 またウサギが騙した相手も、原文ではサメではなくて「和迩(わに)」と書いています。これはポリネシアなどでいう「ワニュイ」のことで、簡単に言うとアウトリガー付きの帆船のことです。対馬では今でも大型船をワニ、小型船をカモと言っています。つまり「和迩」とは海運業者のことをいうわけです。
 要するに古事記が大国主神話の最初に行商人を紹介することで、大国主が築いた大いなる国は、商業流通国家であったと言っているわけです。ところが商業というものは、できるだけ仕入れを叩いて高値で売れば儲かるわけですから、常に農林水産業の一次生産者は、買い叩かれて貧しい立場になります。天照大御神は「それではいけない」と言って、「我が御子の知らす国ぞ」と国譲りを迫られたわけです。
 ここで出てくる「ウシハク」という語は、ウシが主、ハクが「刀を腰に佩(は)く」という表現があるように、身に付ける、私物化する、支配することをいいます。これに対し「シラス」は、そのウシハク権力者のさらに上位に、国家最高権威を置きます。そしてその国家最高権威が、民を「大御宝(おほみたから)」とします。こうなることによって、民衆は権力からの自由を得ることができます。つまり「シラス」は、究極の民主主義を意味する言葉なのです。

ご清聴誠にありがとうございました。

マチュリティ109号より転載)

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